 |
 |
|
 |
| 2004年5月24日付 |
 |
オーストラリアの自転車旅行は、楽しいばかりでなく、苦しい事もたくさんあった。体調が悪くて倒れ、心細くなった時もあった。そんな時に私は肺ガンと闘いながら日本一周に挑んだ名寄のサイクリスト、吉原進氏の事を思い出し頑張ることができた。
名寄新聞の読者なら彼の旅行記を読まれた人が多いだろう。吉原氏は私より2つ年上で昭和16年生まれ。平成5年に入院、その後、入退院を繰り返し7年に34日間掛けて北海道宗谷岬から九州佐多岬までを自転車で走破した。
9年に九州〜名古屋、10年に東京〜青森をそれぞれ走破している。奥さんの話では、その後、沖縄も走破された。健常者でも50代後半の自転車旅行はきつい。彼はそのうえに左右の肺をガンに冒されていた。
生前、私の店、モレーナにも時々来られた。私は彼の細い体のどこからそんな力が湧いてくるのかと不思議に思うと同時に、何かとても勇気付けられたのを覚えている。
12年の夏に氏は亡くなられた。それから2年後、私は心の空隙を埋めるべくオーストラリア自転車の旅に出発したのだ。オーストラリアの乾いた大地を一人走り続けた。でも私はいつも吉原氏が一緒に走っているように感じていた。そして本当に一緒だったらどんなに楽しいだろうかと思った。
10年11月10日の名寄新聞に彼はこう書いている。「今まで健康でバリバリ仕事をしていた時は、何も気付かないでいた。生きている事に素直に感謝、生きている事は素晴らしいと思えるようになれた事は、病気のおかげであり、旅をした事が大きなよりどころとなったと思います。―病気をしている自分は不幸でしょうか。病気を持って苦労したから見えない事も見えることがあるのです」。
吉原氏は病気を肯定し、それを自らの生きるバネとしてガンと闘った。闘ったというより、ガンを友として歩んでいった。
私は若い時に結核を患い、長い闘病生活を強いられた。悩みのおかげで多くの本を読み、絵を描きギターも弾くようになった。あの頃は何で自分だけがこんな目に遭うのかと天を恨んだ。4年間の闘病生活、その間に父が亡くなり恋人を失い大学受験も失敗した。
でもいつも自分の目は広い海の向こうの世界に広げられていた。病気が治り自分がこの病棟の門を出ていく事ができたなら、自分は世界のあらゆる所を旅しようと心に誓った。
その経験が後の私の人生をどれだけ豊かにしてくれたか計り知れない。
結核を患ったことを今では感謝できる。吉原氏も同じ思いだったかもしれない。私はオーストラリアの素晴らしさを彼に話したかった。しかし、語るべき輪友はもういないのだ。
肺ガンにめげず自転車で日本一周に挑んだ吉原氏の行為は、私のみならず日本中のたくさんの人たちに生きる勇気とさわやかさを与えてくれた。
人間の出来る一番素晴らしい事を彼は成し遂げたのだと思う。吉原さん、本当にありがとう。
(写真=心の支えとなってくれた輪友、今は亡き吉原進氏)
著 者 紹 介
|
| 栗岩英彦さん(59)の「オーストラリア自転車の旅・パートU」をシリーズで掲載します。栗岩さんは長野県出身。東京農大卒。会社員生活のあと「世界一周の旅」を目指しインド、アフリカ、アフガニスタン、パキスタン、ヨーロッパ、南アフリカなどを訪問。平成3年下川へ。7年から北町でレストラン「モレーナ」経営。14年2月から4月までオーストラリアのタスマニア島(州)を自転車旅行。同島は北海道とほぼ同じ面積。旅行記は同島に近い小さなフリンダース島から始まる。 |
[ 2004-05-23-17:00 ]
|
|
 |
 |
|